中屋敷均「科学と非科学のはざまで」
2019年度 東京大学 前期 第一問
問題提起Q
科学が世界に「形」を与え、すべてが分かるようになることは、人間にとって望ましい世界なのか。そして「分からないこと」が残ることに、どんな意味があるのか。
二項対立問一問二問三
生命と知性は、どのような世界において成立するのか
秩序の極(静的・確定)
たとえ(水):氷=分子が強く結びつき規則正しく並ぶ
生命:自己複製=同じものを作り秩序を保つ
科学と人間:すべてに形が与えられ、適性も伴侶も予測できる世界
⇔
無秩序の極(動的・混沌)
たとえ(水):水蒸気=分子が束縛を離れ自由に飛び交う
生命:変異=違うものを作り秩序を壊す。世界は無秩序へ向かう
科学と人間:何も分からない混沌。目をつぶってすがるほかない
限定生命も知性も、この両極のどちらでも生きられない。二つの相のはざま=「カオスの縁」でこそ、複雑な「形」が生まれる。
筆者の主張問四
科学が混沌に「形」を与えることは人類への福音である。だが、すべてが確定した揺らぎのない世界に、筆者はかえって息苦しさを覚える。世界に「分からないこと」が残るからこそ、人の知性と「決断」に意味が生まれ、「アホな選択」さえ許され、多様な「形」が花開く。その営み自体に人の喜びも隠されている。だから「分からないこと」もまた福音であり、人が生きるのは科学と非科学のはざまである。
問五
問一
傍線部ア 自然界ではある意味、例外的なものである
どういうことか説明せよ
設問型
どういうことか
本文参照箇所
第5段落冒頭。世界は法則により無秩序へ向かうという前提を押さえる。
第5段落後半。形を保てるのは結合が強く反応性に乏しい物質だと押さえる。
第6段落冒頭。生命は無秩序な世界から分子を取り込み秩序を与えると押さえる。
第6段落中盤。生命が使う分子は反応性に富む点で鉱物と対照的だと押さえる。
考え方
世界は○○へ向かうのに、生命だけが○○している
「自然界」=熱力学第二法則が支配する世界
⇨物はすべて無秩序(カオス)の方へ向かう
∴形を保てるのは結合の強い鉱物・氷だけ
∵反応性に乏しく、変化しないから
「生物の営み」=反応性に富む分子を取り込み秩序を与える
∴大勢に逆らって「形」を作り続ける特殊な営み
必要要素
・世界は熱力学第二法則により無秩序へ向かう
・通常「形」を保てるのは結合が強く反応性に乏しい物質(鉱物・氷)
・生命は反応性に富む分子を取り込み、秩序ある「形」を作り出し続ける
・それは自然界の大勢に逆らう特殊・例外的な営みである
問一
傍線部ア 自然界ではある意味、例外的なものである
どういうことか説明せよ
模範解答
世界の物質は無秩序化へ向かい、形を保てるのは結合の強い鉱物等に限られる中、生命だけは反応性に富む分子から秩序ある形を作り続ける、法則に逆らう営みだということ。
問二
傍線部イ 何か複雑で動的な現象
どういうことか説明せよ
設問型
どういうことか
本文参照箇所
第7段落冒頭。進化は自己複製(静)と変異(動)の二方向からなると押さえる。
第7段落末尾。生命は相反する二方向の均衡から生まれたと押さえる。
第8段落冒頭。生命は高温にも絶対零度にも耐えられないと押さえる。
考え方
○○と○○が○○し合って生じる現象だ
自己複製=自分と同じものを作る ⇨秩序を保つ静的な働き
変異=自分と違うものを作る ⇨秩序を壊す動的な働き
∵相反する二つが絶妙な均衡で同時に働く
∴秩序にも無秩序にも固まらない
∴常に新しい形を生み続ける=「複雑で動的」
必要要素
・自己複製=同じものを作り秩序を保つ静的な働き
・変異=違うものを作り秩序を壊す動的な働き
・相反する二つが絶妙な均衡で同時に作用している
・そのため秩序にも無秩序にも固まらず、新たな形を生みつつ変化し続ける
問二
傍線部イ 何か複雑で動的な現象
どういうことか説明せよ
模範解答
秩序を保つ自己複製と、秩序を壊す変異という相反する二つの働きが絶妙な均衡で作用し、生命が静的な秩序にも無秩序にも固まらず、常に新たな形を生み出しながら変化し続ける営みだということ。
問三
傍線部ウ 人類にもたらされる大きな福音
どういうことか説明せよ
設問型
どういうことか
本文参照箇所
第9段落。科学は混沌に法則という「形」を与える営みだと押さえる。
第10段落。日食・月食の例から予測可能になった経緯を押さえる。
第11段落。ガン治療に見る未解明の「闇」の領域を押さえる。
第12段落。解明が進むほど新たな「形」が次々に生まれると押さえる。
考え方
○○が○○になることが人類の恵みだ
科学=混沌に法則という「形」を与える人の営み
ex日食・月食=神の怒り ⇨日時まで予測できる
ex感染症の「闇」 ⇨抗生物質という「形」
→訳の分からなかった世界に確かな「形」が与えられる
∴世界の姿が固定され、新たな「形」が次々生まれる
∴予測・対処ができ、不安が取り除かれる恵み
必要要素
・科学が現象の背後にある法則・仕組みを解明していく
・得体の知れなかったものに、予測・対処できる確かな「形」が与えられる
・世界の姿が固定され、新たな「形」が次々に生まれていく
・人類の不安が取り除かれる大きな恩恵である
問三
傍線部ウ 人類にもたらされる大きな福音
どういうことか説明せよ
模範解答
科学が現象の背後にある法則や仕組みを解明することで、得体の知れなかった世界に予測し対処できる確かな形が次々と与えられ、人類の不安が取り除かれていくのは大きな恩恵だということ。
問四
傍線部エ いろんな「形」、多様性が花開く世界
どういうことか説明せよ一〇〇字以上一二〇字以内句読点も一字本文全体の趣旨を踏まえて
設問型
どういうことか/一〇〇字以上一二〇字以内/本文全体の趣旨を踏まえて/句読点も一字として数える
本文参照箇所
第13段落。遺伝子診断や結婚相手選定が自動で決まる近未来像を押さえる。
第14段落。確定し尽くした世界に筆者が息苦しさを覚える点を押さえる。
第15段落。分かることを増やす営み自体に喜びが宿る点を押さえる。
第16段落。形の付与だけでなく未知の存在も福音だという逆説を押さえる。
第17段落。不確定だからこそ決断に意味が生まれ誤りも許される点を押さえる。
考え方
○○が残るからこそ○○が生まれる世界だ
前提:形が与えられることは福音(問三)
ex適性も伴侶も遺伝子と情報で決まる世界
∴選ぶ余地がない ⇨筆者は「息苦しさ」を覚える
∵世界が確定的でない=「分からない」が残る
∴知性を働かせた「決断」に意味が生まれる
∴「アホな選択」も許される
∴一つの正解に収まらない多様な「形」が花開く
必要要素
・科学が「形」を与えることは恩恵である(前提)
・すべてが確定した世界では選択の余地がなく息苦しい
・「分からないこと」が残るからこそ、人の知性と「決断」に意味が生まれる
・誤った選択(「アホな選択」)さえ許される
・画一的な正解に収まらない多様な生き方・「形」が生まれる世界である
問四
傍線部エ いろんな「形」、多様性が花開く世界
どういうことか説明せよ一〇〇字以上一二〇字以内句読点も一字本文全体の趣旨を踏まえて
模範解答
科学が世界に形を与えることは恩恵だが、すべてが確定した世界では人の選択の余地が失われ息苦しい。分からないことが残るからこそ、人は知性を働かせて決断せねばならず、誤った選択さえ許され、そこから多様な生き方や形が生まれるということ。
問五
a コウケン → 貢献
b ダイタイ → 代替
c サイキン → 細菌
教員用
授業の骨
授業の骨は、一度肯定した価値を筆者自らが別の側から問い直す二重の福音と、そのはざまに生まれる自由・多様性である。本文の幹(『カオスの縁』という型を水・生命・科学の三層へ反復する構成)と重なるが同一ではない。作問者が問三と問四を対照させ、問四だけに字数と本文全体の趣旨という条件を課していることから、二重の福音の理解を弁別点と判断した。『福音の反転』という言い方は採らない。終盤の一節は『福音なら、実は……もまた福音ではないだろうか』という累加であり、前段の福音を撤回してはいない。
他の文章にも使える読み方
評論では、ある価値をまず順接的に肯定し、後段で同じ価値を自ら問い直して別の価値を並べる型がある。傍線部が本文の前半・後半のどちらにあるかを確認し、同じキーワード(本問では『形』『福音』『はざま』)が後半で別の価値づけを受けていないかを追跡するとよい。この操作は他の評論文にも応用できる。
読み違えやすい点
本文は『「生きている〜た側面がある』とヘッジしている。生命と科学の働きが同じ仕組みだと断定されているのではなく、筆者が意図的に重ねているに過ぎない点に注意する。『はざま』を単なる中間点・折衷として説明しないこと。複雑性が最も増大する積極的な場である点が本文固有の価値である。二重の福音を『結局、分からないことも良いことだ』と一元化しないこと。二つの福音が並んで置かれていること自体が終盤の論理の核である。生徒がしやすい浅い読みとしては、①『はざま』を静的な中間点としてのみ理解する、②傍線ウの理解のまま問四を書いてしまう、③『形』をその場限りの具体物としてしか読まず本文を貫く語だと気づかない、④遺伝子診断の一節を近未来の挿話として読み流す、⑤エントロピーのイメージがないまま『無秩序化』を素通りする、の五つが挙げられる。
背景知識
セル・オートマトンは、単純な規則で升目の状態を更新する計算モデルである。規則によっては『すぐ固まる』『ずっと乱雑』という両極が現れ、その境目で複雑なパターンが持続する領域が生じる。ここから『カオスの縁』という語が生まれた。熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)は、放っておけば物事は乱雑な方へ向かうという向きの法則であり、部屋は自然に散らかるが自然には片づかない、という感覚で説明すれば足りる。遺伝子診断や相性データベースによる伴侶の自動選定という例は、データに基づく最適化が生活の選択を先取りしていく現代社会と直結する具体例であり、『息苦しさ』に同時代的な手触りを与える。第15段落で科学と宗教が『目をつぶってすがりつく』対象として並置されていること、最終段落に『神の摂理のような真実の世界』という宗教的な語彙が現れることは、確実性・全体的説明への依存から距離を取る筆者の一貫した姿勢として読める。
口頭で補う点
第4段落の有機物→細胞→個体→アリ塚・ビーバーのダム・メガロポリスは、『形』が規模を超えて反復することを示す例示であり、答案には不要である。第3段落の『《水》を湛えた星はそうそう見つからない』は、はざまが宇宙的にきわめて狭いレンジであることの傍証として使える。第15段落の『その営みその〜隠されている』は、筆者の主張の温度を決める一文であり、問四の字数では入れにくいが必ず口頭で拾う。最終段落の『真実の世界』と『無明の世界』は、冒頭の『カオスの縁』の言い換えであり、本文解説の対立表へ戻って対応させるとよい。第5段落の、『形』を保てるのは反応性に乏しい鉱物や氷だという点は、生命と、生命でない単調な物質との対比(問一)であり、生命の中の自己複製と変異の対比(問二)とは別の軸である。対立表の『生命』の行には入れず、口頭で補う。
答案の注意点
「生物は特別だから」という同語反復で終わる答案に注意する。熱力学第二法則と鉱物との対比という本文固有の論理装置が使えているかを見る。「形を作る」とだけ書き、その材料が反応性に富む不安定な分子である点(鉱物との対比)を落とす答案にも注意する。
模範解答(全候補)/問一
【AI・採用】世界の物質は無秩序化へ向かい、形を保てるのは結合の強い鉱物等に限られる中、生命だけは反応性に富む分子から秩序ある形を作り続ける、法則に逆らう営みだということ。
教員用
答案の注意点
「中間だから複雑」という同語反復で終わる答案に注意する。「動的」だけを説明し、自己複製という静的側面を落とす答案にも注意する(「複雑」の根拠が消えてしまう)。
模範解答(全候補)/問二
【AI・採用】秩序を保つ自己複製と、秩序を壊す変異という相反する二つの働きが絶妙な均衡で作用し、生命が静的な秩序にも無秩序にも固まらず、常に新たな形を生み出しながら変化し続ける営みだということ。
答案の注意点
抽象的な『良いこと』という説明に留まる答案に注意する。後半で述べられる『息苦しさ』をここに混入させる答案にも注意する(問四との射程の違いが崩れる)。
模範解答(全候補)/問三
【AI・採用】科学が現象の背後にある法則や仕組みを解明することで、得体の知れなかった世界に予測し対処できる確かな形が次々と与えられ、人類の不安が取り除かれていくのは大きな恩恵だということ。
答案の注意点
『多様性は大切だ』という本文根拠を欠いた一般論に流れる答案に注意する。問三と同一方向(科学が発展すればいろいろな形が生まれる)で書き、筆者が確定し尽くした世界に息苦しさを覚えている点を落とす答案にも注意する。『分からないことも大事だ』とだけ書き、決断や誤りの許容という媒介を欠いたまま多様性へ飛ぶ答案にも注意する。第15段落の『喜び』は字数の都合上答案に入れにくいため、これを理由に減点しないが、授業では口頭で必ず補う。
模範解答(全候補)/問四
【AI・採用】科学が世界に形を与えることは恩恵だが、すべてが確定した世界では人の選択の余地が失われ息苦しい。分からないことが残るからこそ、人は知性を働かせて決断せねばならず、誤った選択さえ許され、そこから多様な生き方や形が生まれるということ。
答案の注意点
cを『最近』と書く誤り(同音異義)に注意する。『貢』の上部や『替』の下部(曰)の字形の崩れにも注意する。楷書指定のため、続け字・略字は不可である。