太宰治「パンドラの匣」
2023年度 大学入学共通テスト 追試験 第2問
設定
けさ(終戦直後)句が仕上がった朝(提出は明日の晩まで)
どこ結核療養所の同室「桜の間」
だれ「僕」…語り手(友人「君」への手紙)
かっぽれ・固パン・越後獅子…同室
マア坊…介護者
酷評されたかっぽれが気の毒=なぐさめたい
 ⇨最後の一句が一茶の句+意味を正反対に読み替え得意げ
 ⇨軽蔑と尊敬を行き来する態度に振り回される→「かなわない気持」
葛藤
赤恥をかかせたくない=体面とまごころを立てたい
 ⇔「桜の間」の名誉=はっきり言わねばならない
盗作を無邪気に犯して恥じぬかっぽれと、その体面を気遣うあまり正論すら言いよどむ「僕」。作者は、作者の名や正しさにこだわらぬ人々の前で戸惑う者の姿を、咎めるのではなく可笑しみと温かさをもって描いている。
問1
(ア)てんで
①元来
②所詮
③依然
④○全然
⑤格別
(イ)あからさまに
①故意に
②平易に
③○露骨に
④端的に
⑤厳密に
(ウ)いたずらに
①絶対に
②過剰に
③軽々に
④当然に
⑤○無益に
問2
傍線部A どうも、かっ〜めてやりたく
このときの「僕」の心情は
本文参照箇所
「僕には、わ〜」と言った。
二、三日前か〜案じていたが
わかりもしな〜を拝読した。
考え方
固パンは即返却、越後は「けしからぬ。」
→句の中身に触れられないまま退けられた
かっぽれは真剣に案じ、蒼ざめて問う
「僕」は不風流で、わかりもしない癖に読む
∴見識を示すためでなく、労をねぎらうため
正答の軸
内容に触れず一刀両断された労をねぎらいたい、という心情。評価・称賛・見識の提供ではない。
各肢の判定
①×「不安を抱きつつも」不安を抱く根拠が本文にない「十句そろえたこと自体は評価できるので」作品数を評価する根拠も本文になく、豪語の描写もない
②×「「かっぽれ」の体面を傷つけていたことに思い至り」「そちらの先生」は越後が『僕』を指した語で、体面を傷つけた事実がない
③×「持てる最大限の見識を示して」「不風流」「わかりもしない癖に」と食い違う
④○
⑤×「憤りを覚え」怒りの感情は本文になく、気の毒さという理由と異なる「どうにかして称賛してあげたい」称賛の意図は本文になく、労をねぎらう意図と異なる
問3
傍線部B そりゃ、いい〜なんだもの。
ここに見られる表現上の特徴は
本文参照箇所
素人考えですけど。」
いい事は、いいに違いないでしょうけど。」
考え方
前後は断定を避けた丁寧な言い方
傍線部は「そりゃ」「なんだもの」と軽い
cf傍線部は口に出していない内心の文
∴表面の配慮と、あきれ・困惑の本音との落差
正答の軸
同一人物の中での二層(口に出す配慮/口に出さない本音)の落差。非難でも怒りでも人物対比でもない。
各肢の判定
①○
②×「盗作を非難するものに変化しており」ぞんざいな調子は盗作の非難の表明ではない「怒りが強く示されている」怒りへ強めすぎで、あきれや困惑という実際の調子と異なる
③×「同じ意味の表現を繰り返し用いる」「そりゃ、いい筈だ」は皮肉、「いいに違いないでしょうけど」は建前で、同じ意味の表現ではない
④×「同室者との会話では常に丁寧な口調で語る「僕」の様子が明らかになり」傍線部は内心の文であり、ここから会話の口調は導けない
問4
傍線部C もはや笑わずに反問した
なぜか
本文参照箇所
「わかります〜乗って来た。
少し僕を軽蔑するような口調で言う。
これは、他の〜思うんです。
考え方
「僕」は盗用を直接言わず顔を立てていた
かっぽれが図に乗り、軽蔑する口調になる
∴合わせるのをやめ、改めて趣旨を問う
cf「どんな、まごころなんです」は否定でなく質問
正答の軸
調子合わせの中止と、発言の趣旨の問い直し。対決・追及・上下関係の主張ではない。
各肢の判定
①×「自らの慢心を悔いて」悔いる描写は本文にない「心を鬼にして添削しようと意気込んだ」添削への意気込みも本文にない
②×「笑いをこらえるのに必死であった」笑いをこらえる描写はなく、そんなにまずいものではないと読んでいる「深く反省した」反省の描写は本文にない
③×「盗作であることに気付いていることを匂わせ」『僕』は赤恥を避けており匂わせる意図とは逆「お互いの上下関係を明確にするため」上下関係を明確にする意図は本文にない
④×「その言い分を否定しようとした」傍線部は質問の形であり、否定の意図は本文から読み取れない
⑤○
問5
傍線部D 内心の声は叫んでもいた
この表現に見られる「僕」の心理は
本文参照箇所
偉いねえ。」〜けねえや。」
「おだてちゃ〜持になった。
そんなもの、〜んでもいた。
考え方
褒められて赤面し、慌てて言い足す
内心「そんなもの、どっちだっていいじゃないか」
=自分の直しなど些末だという本音
cf手紙は「君」に本音を明かす場
∴尊敬されるこの展開への違和感を「君」へ知らせる
正答の軸
「どちらでもよい」という本音=自分の修正案の些末さと、その展開への違和感を「君」へ率直に明かすこと。
各肢の判定
①○
②×「舞い上がってしまった自分がいたのも確かである」赤面・落ちつかなさの描写と食い違う「恥ずべきことだと訴える」恥ずべきという判断は本文にない
③×「はっきりと糾弾できない状況にあったこと」盗用は既に勇気を出して指摘済みである「自分の苦悩を「君」に伝えたい」苦悩というほど重い描写ではない
④×「「君」に対して予防線を張っておきたい」「君」が修正案を批評する立場だという根拠が本文にない
⑤×「客観的に価値判断できているのだと「君」に示したい」「俳句の事は、全くわからないんです」という発言と矛盾する
問6
傍線部E どうにも、かなわない気持であった
「僕」がそのように感じた理由は
本文参照箇所
少し僕を軽蔑するような口調で言う。
あっさり、露の世の句の上に棒を引き
偉いねえ。」〜けねえや。」
俳句の相談役〜ると思った。
考え方
軽蔑する口調 ⇨指摘をあっさり受け入れる
⇨「偉いねえ」と敬意さえ示す
⇨意気揚々と引き上げていく
∴捉えどころがなく、振り回されるばかり
cf直後「俳句の相談役など……困る」
正答の軸
態度の変転そのものに振り回されていること。奔放さ・気まぐれ・悪意の有無・からかいのいずれか一点ではない。
各肢の判定
①×「俳句に対するこだわりも感じさせない」「真剣に句を案じていた」と食い違う
②×「敵意をむき出しにした」「口をとがらせた」程度で敵意とまでは言えない「これ以上まじめに応じる必要はないと思い至った」応じない決意を示す描写は本文にない
③×「悪意はなかったのだと思い至った」悪意の有無は前段で既に判断されており、傍線部の理由ではない
④○
⑤×「からかわれていたのではないか」からかいを疑う記述がない
問7(ⅰ)
古人の句を盗〜、もてあそぶ
どのように捉え直すことができるか問題冊子の【資料】を参照
考え方
一茶の原意 …諦めきれぬ嘆き
かっぽれの読み …戦後日本への励まし
「僕」の指摘 …きれいに意味をひっくりかえしている
cf資料:自分の文脈に合わせて読むことは意図からの逸脱
→本来の意味から離れ、戦後の時代へ読み替えている
正答の軸
誤りとしてではなく、読者が自分の時代の文脈へ読み替えた行為として言い直せているか。
各肢の判定
①×「意図せず句の意味を取り違えている」取り違えのままでは捉え直しにならず、資料の「逸脱」の位置づけと合わない
②○
③×「普遍性を備えたものへと昇華させている」資料の特殊から普遍への移行は多くの読者の反復による古典化で、一人の読み替えには当たらない
問7(ⅰ)
各肢の判定(つづき)
各肢の判定
④×「境遇に共通性を見いだし」意味は反転しており共通性の発見ではない「古典化していた句に添削を施すことで」添削が古典化を生むという資料の順序と逆になっている
問7(ⅱ)
古人の句を盗〜、もてあそぶ
【資料】のⅠを参考に説明したもの問題冊子の【資料】を参照
考え方
前:勝手な意味をつけるのは悪い事
=作者の意図に沿って読むべきという考え
後:作者の名などどうでもいい
=皆で分け持ち面白ければよいという享受
→意図の尊重から共有による意味の更新へ
正答の軸
変化の前後を、作者の意図に基づく読み → 読者に共有されて新しい意味を帯びる読み、として正しい向きで押さえる。
各肢の判定
①○
②×「意味を決定するのは読者であるという考えであったが」変化の向きが逆で、二重傍線部の時点は意図の尊重である
③×「時代とともに付加されていく」資料Ⅱは作者名への無頓着と共同の享受を述べており、時代による価値の付加ではない
④×「価値は時代によって変化していくものだという考えであったが」変化前の考えとして本文にない立場を置いている
教員用
一茶の句の原意
一茶「露の世は露の世ながらさりながら」は、幼い子を失った際の句。露のように消えるものと諦めながら、それでも諦めきれない心を詠む。かっぽれの読みは、この嘆きを励ましへ反転させている。
読者論の骨子
読者は無意識に自分の文脈へ合わせて読み、それが目に見えない添削になる。反復の積み重ねが作品を特殊から普遍へ移し、古典化させる。古典化とは作者の意図した意味からの逸脱である。
時代背景
敗戦直後という時期。「こんにちの新しい発明」という発言と「新しい男」という自己規定が示す新しさへの熱と、その空回りが本文の滑稽を支える。
中心を主題の転換に置いた理由
心情の読み取り(問2〜問6)は分量の大半を占めるが、それを中心に据えると末尾のオチと配布資料が浮いてしまう。そこで中心は文学作品と読者の関係の転換に置き、心情の読み取りはその転換を追うための土台として扱った。
対立を置いた理由
対立を置くかどうかは、推移だけで構成する案と比べて決めた。推移案では越後獅子の即断と「僕」の婉曲さが同じ線に乗らず、資料との接続点も失われるため、帰属をめぐる対立を主構造とし、非対称は限定として明示した。
読者による意味の読み替え
作品の意味は作者の意図に固定されず、読者が自分の時代の文脈で読み替えることで動き、その積み重ねが古典をつくる。翻案・引用・二次創作・伝承を扱う文章にも持ち出せる。
「新しい男」という自任
「さすがの新しい男も」の「新しい男」は「僕」自身の自任(注7)。ここは自嘲であり、越後獅子の無言の首肯がそれを受けている。
二段の流用
代案の句には二段の流用がある。マア坊の句を自作として出したことと、「僕」の直し(コスモスや→コスモスの)をかっぽれが自分の見識として当人へ返したこと。
見立ての反転
「実に無邪気な罪人」「まさに思い邪無し」という見立ては、末尾の判明と対にすると、見立てていた側の読み違いとしても働く。
断定しない人物像
かっぽれを「無自覚な盗用者」と断定しない。一茶の句については「僕」の推測に留まり、代案の句については出所と直しの把握が本文に明示される。
振る舞いの切り替え
「僕」の前では即興を装い、マア坊へは率直に伝えるという差から、相手による振る舞いの切り替えとも読める。内面は本文に書かれていないので板面では断定しない。
主題の位置づけ
本文は驚きで閉じ、文学と読者についての一般化は【資料】Ⅱで初めて言葉になる。主題を本文だけの言明として教えない。
教員用
正答の確認
添付の解答例(出所:無名)が全設問について提供されており、本文根拠から確定した判定といずれも一致する。問3・問5は選択肢間の差が細かいため、決め手(傍線部Bが内心の文であること/「どっちだっていい」の指示対象)を必ず口に出す。