梅崎春生「飢えの季節」
2023年度 大学入学共通テスト 本試験 第2問
設定
構想提出の日終戦直後、食糧難の東京
どこ焼けビル…広告会社の編輯会議
昌平橋のたもとの暗がり
行きつけの食堂
だれ「私」…いつも空腹の見習社員(語り手)
会長・佐藤・長山アキ子ら編輯員
一食を乞う老爺
月末の給料日入社から二十日以上
どこ焼けビル…勤め先の広告会社
だれ「私」…辞職を告げる側
日給三円を言い渡す庶務課長
理想の都市構想を晴れがましく提出 +勤めれば人並みに暮らせると期待
 ⇨会長に全否定=儲け仕事と悟る→老爺を邪険に断る→日給三円
 ⇨静かな怒り→辞職を決意 絶望が定まる∴勇気=自分で道を開く
葛藤
ひざまずいて詫びたい=老爺への同情
 ⇔自分の一食を守り邪険に断る=飢え
飢えの極限では、勤めに従っても食えず、人に情けもかけられない。「私」は他人ではなく自分の間抜けさに腹を立て、食えないことは良くないという一点に立って職を捨てる。絶望が定まった瞬間にこそ、自分の道を自ら切りひらく静かな勇気が生まれる。
問1
傍線部A「私はあわてて説明した」とあるが
このときの「私」の様子は
本文参照箇所
第一段落末尾。提出前、夢への共感を確信していた自負の部分。
第三・五段落。会長が構想の目的を問いただす発言。
第六段落(傍線A)。夢を見せたい意図を弁明する発言。
考え方
提出前 …共感を得ない筈はないと信じていた
⇨会長「一体どういうつもりなのかね」
⇨あわてて夢の意図を説明
∵誤解に気づくのは「ははあ」「段々判ってきた」から
→傍線Aは自負を保ったままの戸惑い
正答の軸
提出時の自負が残ったまま、構想の主旨を問われて戸惑い、理解を得ようと説明している。
各肢の判定
①○
②×「成果をあげて認められようと」「名誉を回復しようとしている」本文の動機は都民に夢を見せることで、出世や体面ではない。
③×「イメージできていなかったことを悟り」「自分の未熟さにあきれつつ」その自覚は会長の具体的な説明の後(「ははあ」「段々判ってきた」)であり、傍線Aの時点ではまだ自分の意図を正面から述べている。
④×「都民の現実を見誤っていたことに今更ながら気づき」気づきの時点を傍線Aより前へ繰り上げている。
⑤×「会長からテーマとの関連不足を指摘されて」会長の問いは「何のためになるのか」という実利の欠如であり、テーマとの関連不足の指摘ではない。
問2
傍線部B「私はだんだん腹が立ってきたのである」とあるが
なぜか
本文参照箇所
第十五段落前半。情報局と組んだ仕事も戦後の啓蒙も、実は儲け仕事だったという推論。
第十五段落後半。傍線B直後、三つの「〜のではない」で候補を否定する部分。
考え方
「〜のではない」が三つ続く
夢の侮蔑/営利精神/冷笑 …すべて×
∵戦中も儲け仕事、戦後も慈善ではない
=「少し考えれば判る筈であった」
∴残るのは、気づかなかった自分への怒り
正答の軸
情報局と組んでいた時点で純粋な慈善ではあり得ないという当然の推論に思い至らず、夢だけの構想を誇って出した自分の愚かさに気づき始めたから。
各肢の判定
①×「自らの欲望を優先させた自分の浅ましさ」怒りの対象は食い扶持を優先した浅ましさではなく、推論の欠如(間抜けさ)である。
②×「戦時中には国家的慈善事業を行っていた会社が」本文は戦中の仕事も「たんなる儲け仕事」と述べており、事実関係が逆。
③×「社員相互の啓発による競争を重視している」本文にない要素。怒りを無能さの恥へすり替えている。
④×「東京を発展させていく意図などないことを理解せず」戦中から続く営利という遡及的な認識を欠き、理由の中心を外している。
⑤○
問3
傍線部C「自分でもおど〜こたえていた」とあるが
ここに至るまでの「私」の心の動きはどのようなものか
本文参照箇所
第十八段落。老爺の様子と、それを振りはらう「私」の苦痛。
第二十二段落。なおも懇願を続ける老爺の言葉。
第二十三段落(傍線C直前)。頭を下げたかった中身は懇願であるという独白。
考え方
老爺 …立っているのも精いっぱい
⇨「ある苦痛をしのびながら」指を振りはらう
⇨なおも「お願い。お願いです」とすがる
私が頭を下げたい中身
…「これ以上自分を苦しめて呉れるな」
→老爺への嫌悪ではない ∴この場から逃れたい衝動
⇨邪険な口調
正答の軸
応じられない苦痛に耐えていたが、なおすがる老爺に接して、向き合うこと自体から逃れたくなった。
各肢の判定
①×「無心を続ける老爺にいら立った」老爺への苛立ちは本文にない。
②×「頭を下げ許しを乞いたい」下げたい頭の中身は懇願であり謝罪ではない。「周りの視線を気にしてそれもできない自分へのいらだち」人眼は懇願の条件で、いらだちの対象ではない。
③×「自分にはない厚かましさも感じた」老爺への相対評価は本文にない。
④×「食い下がる老爺のしつこさに嫌悪感を覚えた」感情の向きが老爺へ外向しており、本文の自己の苦痛と逆。
⑤○
問4
傍線部D「それを考えるだけで私は身ぶるいした。」とあるが
このときの「私」の状況と心理は
本文参照箇所
第二十五段落前半。富める者から物乞いの老爺までの十人の列挙。
第二十五段落後半(傍線D直前)。列挙の最後に置かれる「私自身」の姿と、この先への不安。
考え方
富める者と飢える者の姿を次々に思い浮かべる
⇨その構図の中に私自身がいる
=食物ばかり妄想し〜や柿をかすめる
⇨「こんな日常が連続してゆく」
∴身ぶるいの相手は、自分のこの先
正答の軸
周囲の貧富の姿から自分の惨めな姿も浮かび、盗むような生活の先にある自分の将来に思い至った。
各肢の判定
①○
②×「そのような空想にふける自分」芋や柿をかすめるのは空想ではなく現に行っている行為。
③×「その場しのぎの不器用な生き方しかできない我が身」反省の方向が違い、将来への恐怖という核が落ちる。
④×「さらなる貧困に落ちるしかないことに気づいた」本文は「どんなおそろしい結末が待っているのか」と未知の形で書いており、断定が過ぎる。
⑤×「社会の動向を広く認識できていなかった自分を見つめ直した」論点が社会認識の広さへずれ、自分の将来への恐怖が消える。
問5
傍線部E「食えないこと〜と思うんです」とあるが
この発言は
本文参照箇所
第二十七段落。課長が伝える見習社員の待遇と将来の昇給の話。
第二十八段落。課長が「私」の勤勉さを認め期待を語る発言。
第二十九段落(傍線E直前)。怒りが静まり、既に辞める決心が固まっていたという独白。
考え方
日給三円 ⇨衝動は消える ⇨「水のように静かな怒り」
=発言の前にすでに辞める決心
課長が出すのは将来の昇給とこれまでの評価
⇨その土俵を退ける →食えない一点だけを淡々と告げる
正答の軸
将来の待遇改善も過去の評価も問題にせず、いま食えないという一点を決め手として、退職を淡々と伝えている。
各肢の判定
①○
②×「つい感情的に反論した」「水のように静かな怒り」と矛盾する。
③×「諦めて、ぞんざいな言い方しかできなかった」すでに決心を固めた上での通告であり、諦めやぞんざいさではない。
④×「正当な評価は得られないと感じて」「ぶっきらぼうに述べた」論点が評価の当否へずれ、発言の温度も本文と合わない。
⑤×「負け惜しみのような主張を絞り出すしかなかった」決心済みの静かな通告であり、負け惜しみではない。
問6
傍線部F「私はむしろあ〜いたのである」とあるが
このときの「私」の心情は
本文参照箇所
第三十三段落前半。辞めた後への不安を抱えつつ、自分で道を切りひらくしかないという決意。
第三十三段落後半。残された生き方として闇の商いや物乞いも思い浮かべる部分。
第三十五段落(傍線F直前)。期待していたのは自分自身であり、それが絶望と定まった瞬間。
考え方
期待していたのは課長ではなく私自身
静かな生活 =絶望と確定
+「辞めたらどうなるか」の危惧は残る
∴絶望と同時にのぼる勇気
⇨自分で道を切りひらく(闇売り・外套を抵当)
正答の軸
人並みの暮らしへの期待が断たれ、懸念を抱えたまま、新しい生き方を探そうとする気力が湧いている。
各肢の判定
①×「主張できたことにより」勇気の起点は主張できたことではなく、期待が絶望と確定したことである。
②×「課長に言われた言葉を思い出すことにより」本文は期待の主語を課長から私へ入れ替えており、方向が逆。
③×「物乞いをしてでも生きていこうと決意を固めている」物乞いは残された途の一つとして挙げられるだけで、決意として断定されていない。
④○
⑤×「課長が自分に期待していた事実があることに自信を得て」期待の主語の入れ替えを読み落としている。
問7(ⅰ)
空欄[ Ⅰ ]に入るもの
考え方
【空欄Ⅰ】
広告 …戦時の文を一部削って戦後も使用
焼けビル …戦災を経て焼け残り、なお立つ
→社会が変わっても事物はそのまま生き延びる
⇨だから会長の仕事のやり方と重なる
正答の軸
空欄Ⅰ:戦時下に存在した事物が、終戦後の社会変化の中でも生き延びているという継続。
各肢の判定
①×「軍事的圧力の影響」資料も本文も圧力の残存を述べていない。
②×「倹約の精神」人びとの態度の継続ではなく、事物そのものの残存が共通点。
③○
④×「国家貢献を重視する方針が、終戦後の経済活動においても支持されている」方針への支持という論点は資料・本文のどちらにもない。
問7(ⅱ)
空欄[ Ⅱ ]に入るもの
考え方
【空欄Ⅱ】
直前 …未来像を持たないまま辞めた
末尾 …「かなしく」そそり立つ
+資料の形 …変わっても生き延びる
∴決別・脱却ではない
∴解消されない飢えが続くことの象徴
正答の軸
空欄Ⅱ:会社を辞めても飢えは解消されず、続いていることの象徴。
各肢の判定
①×「給料を払えない会社の象徴」問題を会社の一事情に縮め、「私」の飢えという主題から外れる。
②○
③×「決別の象徴」断絶の含意が、未来像がないという直前の記述と衝突する。
④×「飢えから脱却する勇気を得たことの象徴」会社を辞めたことと飢えの解消を取り違えている。勇気は得ているが飢えは終わっていない。
教員用
背景知識
配給・外食券・闇売り・闇価。日給三円は本文の言う通り外食券一枚の闇価と同じ。 情報局は戦時下に報道・出版・宣伝を統制した国家機関。会社はここと組んで仕事をしていた。 街頭展という枠そのものが、企業から広告料を取るための仕掛けであること。 極度の飢餓は、夢・理想・慈善といった言葉で自分を語る自己像を剥がす。老爺の身体描写はその剥落を目の前で見せる場面。 戦後を構造批判の寓意として読む見立ても成立しうるが、本文の焦点は「私」個人の心理にあるため板面の中心には置かない。
口頭補足
梅崎春生は戦争と戦後の生活を描いた作家。本作は一九四八年発表。 老爺の描写の残り(顔はくろくよごれ、上衣の袖から出た手はぎょっとするほど細く、頰はげっそりしなびて咽喉までざらざらに鳥肌が立っていた)は口頭で補う。 食堂の群像の全十件(下宿のあるじ/裏の吉田さん/会長/庶務課長/佐藤/長山アキ子/T・I氏/モンペの女/勤め人たち/老爺)を読み上げ、最後に「私自身」が置かれる順序を体感させる。
注意(全体)
結末を成長・再生としてまとめない。末尾は「かなしくそそり立っていた」であり、問7(ⅱ)の正答も飢えの継続である。 問1で「もう自分の誤りに気づいている」と説明しない(気づきは傍線Bの前段から)。 問3で老爺を「しつこい」と評さない。本文に老爺への否定的感情は書かれていない。
転用可能な気づき
否定の連続で候補が消されている箇所は、消し残りだけを答える。 行動の印象は、その直前の内的独白と突き合わせて向きを確かめる。
骨の選定記録
採用:限定句へ戻って感情の行き先を確定する操作と、その積み重ねとしての「私」の変化と、世の中の不変を重ねる読み方。 不採用:老爺と「私」の二重像だけを中心にする案(設問全体を一本で貫けない)。 不採用:戦中・戦後の営利の継続だけを中心にする案(問1・問3・問5・問6が従属してしまう)。
注意
傍線Aの時点は、会長の説明の後に来る理解(『ははあ』『段々判ってきた』)をここへ前倒ししないこと。まだ自分の構想が正しいと信じている段階である。
注意
本文が明示的に否定した三つの候補(夢の侮蔑・営利精神・冷笑的な視線)のいずれかを理由にしないこと。怒りの対象は自分の間抜けさである。
注意
邪険な口調を、老爺への苛立ちや嫌悪と読まないこと。感情の向きは自分の苦痛と、この場から逃れたい衝動である。
注意
身ぶるいの対象を、貧富の差という社会一般への気づきへ薄めないこと。対象は自分自身のこの先の将来である。
注意
静かな通告を、感情的な抗議や捨て台詞と読まないこと。決心はすでに固まっており、温度は『水のように静か』である。
注意
勇気の発生源を課長の言葉に求めないこと。期待していたのは『私』自身であり、絶望の確定と同時に勇気が生じる構造である。
教員用
注意(空欄Ⅰ)
資料と本文の共通点を、物資不足という状況の一致だけで済ませないこと。共通点は、戦時下の事物が社会の変化を越えて生き延びているという点である。
注意(空欄Ⅱ)
空欄Ⅱを、決別や脱却として埋めないこと。会社を辞めたことと飢えの解消は別であり、正答は飢えの継続を示す内容である。