柏木博『視覚の生命力――イメージの復権』/呉谷充利『ル・コルビュジエと近代絵画――二〇世紀モダニズムの道程』
2023年度 大学入学共通テスト 本試験 第1問
問題提起Q
窓と壁は、外界をどのように見せる装置なのか。同じル・コルビュジエの建築を、二つの文章はなぜ違う姿で描くのか。
同じル・コルビュジエの窓(建築の境界)を何として捉え、そこに何が成立すると論じるか
【文章Ⅰ】柏木(窓・眺望)
【文章Ⅱ】呉谷(壁・観照)
着目する要素
窓(開口部)とフレームの形
壁(四周を遮る壁体。窓は壁をくりぬいた開口として現れる)
その働き
風景を枠取りし、外界を二次元の平面へ変える
視点を室内の一点に固定し、そこから風景を切り取る
成立する経験
眺める(視界と採光、風景の眺望)
観照(沈思黙考・瞑想という内面の時間)
語られるル・コルビュジエ像
住むための機械であり、見るための機械
住宅は沈思黙考の場
限定優劣の対立ではなく同一対象の観点差である。文章Ⅱは動かぬ視点の史的展開(初期の明言→動く視点の強調でいったん後退→後期の礼拝堂・修道院で再び中心に据えられる)へ進むため、文章Ⅰと対称には閉じない。
窓と壁は、外界を切り取って見せる視覚装置である。【文章Ⅰ】は窓を、風景を枠取りし二次元の像へ変えるフレームとして捉え、限定し選別してこそ水平線の広がりを求めうると説く。【文章Ⅱ】は同じ窓を内側から壁として捉え、壁が視点を一点に据えることで風景の観照=沈思黙考が成立すると読む。
問1
(ア)冒頭 ①○感冒 ②寝坊 ③忘却 ④膨張
(エ)琴線 ①卑近 ②布巾 ③○木琴 ④緊縮
(オ)疎んじられる ①提訴 ②○過疎 ③粗品 ④素養
(イ)行った
①行シン
②行レツ
③リョ行
④○リ行
(ウ)望む
①ホン望
②ショク望
③○テン望
④ジン望
問2
傍線部A「子規は季節や〜ことができた」とあるが
どういうことか
本文参照箇所
文章Ⅰ冒頭:寝たきりの子規が室内を眺めて楽しんだ場面
同段落:視覚が存在確認の感覚だったという記述
第3段落:絶望の深さと視覚経験の重みの対比
考え方
傍線部の内容を問う
∵直前に「視覚こそが存在を確認する感覚」とある
⇨見ることは生の実感(慰め以上)
cf身体は動かせず、見ることしかできない
正答の軸
寝返りさえままならない身体状況のもとで、味覚のほかは視覚こそが自身の存在を確認する感覚であった。ゆえにガラス障子越しに庭の植物や空という多様な景色を見ることは、気晴らしではなく生を実感する契機であった。
各肢の判定
①×「現状を忘れるための有意義な時間」忘却へ矮小化し、存在を確認する感覚という核が落ちる。
②×「自己の救済につながっていった」救済という強い射程は本文にない。
③○
④×「外の世界への想像をかき立ててくれた」直接見る経験を想像力へすり替えている。
⑤×「作風に転機をもたらした」作風への影響は本文に記述がない。
問3
傍線部B「ガラス障子は『視覚装置』だといえる。」とあるが
筆者がそのように述べる理由は
本文参照箇所
フリードバーグ引用:窓の縁が風景を切り取るという定義
傍線B直前:子規の書斎がスクリーン兼フレームになった経緯
考え方
理由は直前の定義の適用
フレーム=風景を切り取る(視界を制限する)
=見る範囲を定める
スクリーン=外界を二次元の平面へ変える
=平面のイメージとして映し出す
→二つを兼ねる仕掛け=視覚装置
正答の軸
窓はフレームであり、その縁が風景を切り取って視界を制限する(見る範囲を定める)。同時に窓はスクリーンであり、外界を二次元の平面へ変える(平面の像として映し出す)。ガラス障子はこの二つを室内に成立させたから視覚装置と呼べる。
各肢の判定
①×「季節の移ろいをガラスに映すことで」ガラスに反射させる読みで、透過して見る・二次元化するという本文の論と違う。
②○
③×「切り離したり接続したりすることで、視界に入る風景を制御する」外界を二次元の平面へ変えるという理由の核が落ちる。また切断と接続の制御は本文に書かれていない。
④×「新たな風景の解釈を可能にする」解釈の更新は本文にない飛躍。
⑤×「絵画に見立てることで」映像が投影されるスクリーンを絵画へすり替え、鑑賞空間への変化は傍線Bの理由ではない。
問4
傍線部C「ル・コルビュ〜ームであった」とあるが
「ル・コルビュジエの窓」の特徴と効果は
本文参照箇所
講演部:窓は採光のためにあり換気のためではないという特徴
同:換気でなく視界と採光を優先したという記述
『小さな家』引用:景色は圧倒的で退屈という前提
同:景色は限定・選別が必要という判断
同:壁を建て一部を開けて水平線の広がりを求める記述
傍線C直前:子規は操作されたフレームではないという対比
考え方
確信を持って=子規と違い意図して操作した
特徴:換気ではなく視界と採光
⇨結果としてアスペクト比が変化(目的ではない)
ex四方八方の景色は圧倒的で焦点をかく ⇨限定・選別する
∴かえって水平線の広がりが得られる
正答の軸
特徴…窓は採光のためにあり換気のためではない(視界と採光の優先。アスペクト比の変化はその結果)。効果…四方八方に蔓延する圧倒的で焦点をかく景色を壁で限定・選別するからこそ、水平線の広がりを求めうる。
各肢の判定
①×「風景がより美しく見えるようになる」美の評価は本文外。限定してこそ広がりを得るという効果の核も欠く。
②×「居住性を向上させる機能を持つものであり」「生活環境が快適なものになる」換気を退けて視覚を優先した本文と方向が逆。
③×「アスペクト比の変更を目的としたもの」本文ではアスペクト比の変更は視界と採光を優先した結果であり、目的と結果を逆転させている。
④×「囲い壁を効率よく配置することで風景への没入が可能になる」効率も没入も本文に根拠がない。
⑤○
問5
傍線部D「壁がもつ意味〜造化である。」とあるが
これによって住宅はどのような空間になるのか
本文参照箇所
スイス館の例:屋上庭園の四周が強固な壁で囲われている記述
文章Ⅱ:風景が動かぬ視点をもつという記述
傍線D直前:視点と風景が壁で隔てられ一点から眺められる記述
初期の言葉:住宅は沈思黙考に関わるという記述
後期作品:礼拝堂・修道院が沈思黙考・瞑想の場であるという記述
考え方
壁で四周を遮り一部を開ける
⇨視点が一点に固定される(動かぬ視点)
⇨風景を観照する構えが空間として成立
∴住宅は沈思黙考・瞑想の場になる
正答の軸
四周の大部分を壁で囲い一部に開口部を設ける→視点が室内の一点に固定される(動かぬ視点)→風景は一点から眺められる→住宅は沈思黙考・瞑想の場となる。
各肢の判定
①×「仕事を終えた人間の心を癒やす空間」瞑想の時間を癒やしへ矮小化し、外光の調整という論点にも本文の対応がない。
②×「おのずと人間が風景と向き合う空間」外へ向かう対面で止まり、沈思黙考という内面の時間に届かない。
③○
④×「風景を鑑賞するための空間」【文章Ⅰ】の眺望の観点へ戻ってしまい、【文章Ⅱ】固有の内面性を捉えていない。
⑤×「内部の人間を瞑想へと誘導する構造により、住宅は自己省察するための空間になる」自己省察は沈思黙考より狭く、瞑想へ誘導するという説明も壁の働き(視点の固定)と対応しない。
問6(ⅰ)
空欄[ X ]に入る発言
考え方
二つの引用の末尾を突き合わせる
共通:景色は圧倒的で限定が必要
cf文章Ⅰのみ:壁面を取り払い水平線の広がりを求める(窓)
cf文章Ⅱのみ:北・東・南の壁が囲われた庭を形成する(壁)
∴窓を設ける意図が省かれ、囲う効果が強調される
正答の軸
【文章Ⅰ】の引用は、囲う壁(視界を遮る)と、壁面を要所要所取り払って水平線の広がりを求めること(開口=窓)の両方を含む。【文章Ⅱ】の引用は中略でこの窓を設ける部分を落とし、代わりに北・東・南の壁が囲われた庭を形成するという方針を加えて、視界を遮り壁で囲う効果を強調している。
各肢の判定
①×「壁の圧迫感について記された部分が省略されて」圧倒的だと述べられているのは四方八方の景色であり、壁の圧迫感という記述はない。
②×「その壁によってどの方角を遮るかが重要視されている」方角の列挙を中心命題と取り違えている。
③×「それを限定する窓の役割についての内容」【文章Ⅰ】の引用で視界を限定するのは壁であり、窓(壁面の取り払い)は水平線の広がりを求める役割である。役割の帰属が入れ替わっている。
④○
問6(ⅱ)
空欄[ Y ]に入る発言
考え方
子規からル・コルビュジエへの順で語られる
共通点:窓が視覚装置である点はかわらない
∴身近な例で住む人と風景の関係を先に見せる
⇨専門的な設計論が理解しやすくなる
正答の軸
子規の日常でガラス障子が果たした役割(外界を見ることが生の実感になる=住む人と風景の関係)を先に身近な例で示し、ル・コルビュジエの窓が居住者と風景の関係を考慮した設計であることを理解しやすくする導入。
各肢の判定
①×「現代の窓の設計に大きな影響を与えた」現代への影響は本文で論じられていない。
②○
③×「子規の芸術に対してガラス障子が及ぼした効果」作句・芸術への効果は本文に記述がない。採光による美しい空間も本文外。
④×「換気と採光についての考察が住み心地の追求であった」本文は窓は採光のためにあり換気のためではないと述べており、住み心地の追求という要約と逆。
問6(ⅲ)
空欄[ Z ]に入る発言
考え方
設問条件:【文章Ⅱ】と関連づけて読む
子規は身体が動かない=視点は一点 =動かぬ視点
∴子規の書斎は沈思黙考の場として機能した
cf礼拝堂・修道院は後期の作品
正答の軸
子規は身体を動かせず、視点は室内の一点に固定されていた。それは【文章Ⅱ】のいう動かぬ視点であり、ガラス障子を得た書斎は、動かぬ視点から風景を観照する沈思黙考の場として読み直せる。
各肢の判定
①×「ル・コルビュジエの主題化した宗教建築として機能していた」礼拝堂・修道院は後期に再主題化された作品であり、子規の書斎をその宗教建築として機能させる読みは本文の限定を超える。
②×「光の溢れる世界を獲得したと言える」「仕事の空間として機能していた」光の溢れる世界は外的な世界の側で、沈思黙考・瞑想の側ではない。
③○
④×「ル・コルビュジエの住宅と同様の視覚装置として機能していた」【文章Ⅰ】だけで言える内容で、【文章Ⅱ】と関連づけて読むという設問条件を満たさない。
教員用
板ガラスの歴史的背景
板ガラスの国産化は一九〇三年で、子規が使ったガラス障子は輸入品であり高価だった。プロセニアムは舞台と客席を区切る額縁状の部分を指す。
文章Ⅱの理論的な位置づけ
『近代建築の理〜一つの空間論』という一節は、機能を重視する考え方と、内面性を重視する考え方との緊張関係を示唆しているが、本文の中心的な主張ではないため板面には出さない。
サヴォア邸・スイス館とロンシャンの礼拝堂・ラ・トゥーレット修道院
サヴォア邸とスイス館は初期の作品で横長の窓や全面ガラスの壁面を特徴とする。ロンシャンの〜レット修道院は後期の作品で、沈思黙考・瞑想の場という主題が再び中心に据えられる。
引用は解釈的操作である
同じ文献からの引用でも、どこを切り取り、どこを中略するかによって立ち上がる論点は変わる。引用は中立な転載ではなく、書き手の解釈的な操作である。この観点は他の複数資料問題にも応用できる。
授業の中心を『二つの観点の違い』に定めた理由
今回の授業は、窓・眺望という観点と壁・観照という観点の違いを区別し、両文章に共通して登場する子規の場面で両者を結び付けることを中心に据えた。この中心は本文の骨組みとほぼ重なるが、引用の扱いを授業の中心に置く案は、本文全体を統括しきれないため、上の気づきとして分けて扱った。
文章Ⅱの視点についての留意点
文章Ⅱについて、視線の向きが外から内へ反転すると説明しない。動かぬ視点も、室内の一点から外の風景を眺める点は変わらない。反転しているのは、同じ開口部を窓として見るか壁として見るかという捉え方であり、視線の方向そのものではない。
問3の弁別の留意点
切り離す・つなぐという機能の説明に流れず、外界を二次元の平面へ変えるという平面化の記述を必ず押さえさせる。
問4の弁別の留意点
アスペクト比の変更を目的として説明しない。視界と採光を優先した結果として形が変わったという順序を保つ。
問3・問6(ⅰ)の正答判定について
問3・問6(ⅰ)は、授業案の検討段階で③と考える読み方もあり得たが、本文の逐語(窓の縁が風景を切り取り外界を二次元の平面へ変えるという記述、および壁を建てることによって視界を遮り壁面を要所要所取り払って水平線の広がりを求めるという記述)に基づき、それぞれ②・④を採用した。添付の解答(②・④)とも一致する。
字形の似た漢字の書き分け
疎・粗・素は字形が近く紛れやすい。過疎(疎)・粗品(粗)・素養(素)の違いを板書で確認する。
温度差のある誤答の見分け方
「忘れるための時間」「想像をかき立てる」という軽い言い換えと、「生を実感する契機」という存在確認の重さとの差を確認する。「自己の救済」「作風の転機」という本文にない強い語にも注意する。
最も紛れやすい誤答
③はプロセニアム(区切る働き)だけを拾い、スクリーン(平面化する働き)を落としている。二つの働きの両方が理由に含まれているかを確認する。
教員用
子規とル・コルビュジエの窓の違い
子規のガラス障子は、フレームではあっても操作されたフレームではない。一方、ル・コルビュジエの窓は確信を持ってつくられたフレームである。この対比があって初めて、傍線Cの「確信を持って」の意味が定まる。
因果の向き
視界と採光を優先したことの結果としてアスペクト比が変化したのであり、アスペクト比の変更自体が目的ではない。この順序を保って説明する。
サヴォア邸・スイス館に見る窓と壁の反転
サヴォア邸の横長の窓は、内側から見ると壁をくりぬいた開口であり、横長の壁として現れる。スイス館も全面ガラスの壁面を持つが、屋上庭園の四周は強固な壁で囲われている。同じ開口部が、外から見れば窓、内から見れば壁として現れるという反転を示す具体例である。
観照・theōriaの語義
観照は実用的な関心から離れて対象を眺める態度を指す。theōriaはギリシア語で見ること・眺めることの意。
二つの文章が共有する前提
四方八方に蔓延する景色は圧倒的で眺められない、景色を望むにはそれを限定しなければならない、という一節は、両文章がともに引用する同じ『小さな家』の箇所である。この共通の土台があって初めて、問6(ⅰ)の引用の異同という比較が成り立つ。
二つの引用の異同(詳細)
【文章Ⅰ】の引用は、壁を建てて視界を遮ることと、壁面を要所要所取り払って水平線の広がりを求めることの両方を含む。【文章Ⅱ】の引用はこの壁面を取り払う部分を中略し、代わりに北・東・南の壁が囲われた庭を形成するという方針を加えている。窓を設ける意図が省かれ、壁で囲う効果だけが強調される形になっている。
仕事の時間・瞑想の時間と光の対応
『自らを消耗する仕事の時間』と『心の琴線に耳を傾ける瞑想の時間』という対は、続く一文の『光の溢れる世界(外的な世界)』『光の疎んじられる世界(内面的な世界)』に対応する。仕事の時間は光の溢れる外的な世界の側、瞑想の時間は光の疎んじられる内面的な世界の側に位置づけられる。この対応を明言する一文は本文には無く、語順と後段の記述(礼拝堂・修道院=沈思黙考、瞑想の場)から確定した。