短編は長編を量的に切り詰めたものではなく、その分量に相応した文章の調子――呼吸やリズム、間合い、密度――を初めから備えており、それ以上長くも短くもなりようがないから。
短編小説礼讃
Q
短編小説とはどのようなものか。
短編小説=イメージ
長編小説=思想問五
【短編と長編】
切り刻んでも「鯨の切り身」(死んでいる)にしかならず、「鰯」(生きている)にならない。短編には短編の長さがある。問一
【正しい寸法】
残るのはイメージだけ
前置きも注釈も置けない
【短編に残るもの】
長編
説明・注釈を積む
作者が随時揺り起こす
評論・哲学論文
短編
イメージを焼きつける
なし(一度で焼く)
抒情詩
語る手段
読者への支え
なぞらえるなら問二
【短編と長編の語り型】
「作家の目はレ〜える網である」。短編のもとになるイメージとは、作家の目が捉えて記憶したものが、時間をかけて反芻されてできあがったもの。観念ではなく、身体を通した体験としてのイメージ。問三
【写生ではない──記憶と時間】
只の一語も紹介や説明をせず、会話だけで人物と相互の関係を一挙に見せる。説明ではなく会話で、人間関係のイメージを読者に植えつけることに成功している。問四
【イメージの示し方の例──『めんどり』】
短編は長い話の切り詰めではない。説明も注釈も置けないから、記憶に沈めて熟させたイメージを会話だけで焼きつける。それが短編を短編にする。
【筆者の主張】